think,think,think!

基本的には自分の思考を整理する場として。

NPO「年収半分、やりがいで生きる職員」「年に1度挨拶をして感謝されるドナー」の関係

年収は半分で、日々激務は、やりがい搾取か

半年ほど前から関わっているNPOがあります。自分がもともと強い関心のある分野で、だからこそ関わることができて本当に嬉しかった。 将来も、自分の実力をつけたら、社会起業家として活躍したいなんて思いもある。社会のために何かをするというのは、どういうことなのか、ぼんやりしたままのイメージを持って、団体に飛び込んだ。

そこで見えてきたのは、もちろん良い面--日本にはこんなにたくさん人思いな大人がいるのか、など--もあれば、気になる面もあった。

今回はまず職員の労働条件について。もちろんやりがいのために入ってきて、年収は前職の半分以下で、ということは元々知っていたし、自分で選択したものであれば他人がとやかくいうものでないと考えていた。

しかし先日、ある場面で私は「それにしても、どうなんだ」と思うことがあった。

年末の感謝パーティーでのこと。そこには普段顔を合わせるスタッフだけでなく、多くの個人寄付者や支援者たちも集まっていた。スタッフはいつものように、参加者へ気配りし、会の進行をし、食べ物なんて一切口にする暇もなく動き回っていた。

個人寄付者たちはゲストだから、忙しく動き回るスタッフをがいようとも、会を楽しんでいたり、交流を図っていたりするのはむしろホストとしては願ったり叶ったりなことであるから、そこを責めるつもりはない。

いや、誰も責めるつもりはないのだ。だが心には違和感が残った。

普段、全く別分野で活躍し寄付をして1年に1度のパーティーに呼ばれ挨拶をし、自分の著書を紹介するだけで全体から称賛の拍手をうけるドナー。 少ない年収で、日々駆けずり回り、支援を受けるため頭を下げ、寄付者を抗えない神のようにたたえる職員。

NPOは資本主義から離れたユートピア的な場所であると、甘い幻想を抱いてその世界をのぞいてみた。 しかしそこは金のある者が何よりも上にたつ、弱肉強食の世界だった。

「ない時の方がしばられる、それがお金だ」と言われたことがあるが、その言葉を思い出した。お金儲けを考えないからこそ、お金の問題に縛られてしまっているのが、いまのNPOかもしれないと。

思いだけで問題は解決せず、最後はお金が必要になるということはわかっている。しかし、お金が一番強い存在である、という感覚にはどこか味気なさを覚えてしまうのだ。

このように理想論を語る者が集まるから、資金繰りに苦しむ非営利団体あるのだと言われれば何も言い返せない。しかし、しかしだ。最後まで自分の違和感を大切にし続けたものこそが、何か人の想像のつかないことを成し遂げるのだとも、歴史を見て思う。

しばらくは、自分の発言に説得力を持たせるため、実力研鑽を続けようと思う。