think,think,think!

基本的には自分の思考を整理する場として。

「ローサは密告された」から日本の "少子化批判"を憂いた

以前から気になっていた「ローサは密告された」(原題:MA'ROSA)を観てきた。 予告通りそれは、フィリピンの都市部貧困層が抱える不安定な生活や、腐敗した行政組織をありありと描いていた。


『ローサは密告された』予告

また一方で、フィリピン人の明るく互助精神のある国民性も描かれていた。道端でカラオケに興じる若者の姿に、家族で協力してお金を集めるシーン。いまの生活は苦しく、未来も不透明なのに、エネルギーに満ちたその姿からはなぜか、生きる元気をもらえた。

と、ここまでは一般的な感想である。

鑑賞後はじめて私の心に浮かんできたのは「この地球上で、幸せに生きられる人の数には限りがある」ということだ。

この作品の大きなポイントとして、商店で麻薬を取り扱っていた一番の理由は、生活資金を得るためだったという点がある。雑貨や日用品だけでは家族を養えるだけの十分なお金が得られないということだ。しかしその麻薬のせいで捕まり、莫大な釈放金を支払うために金策に走る。お金を得る手段によって、より多くのお金が必要になってしまっている。

また、言い値で釈放金が払えない場合には、他の売人を密告してその代わりとする。主人公自身も密告されたから捕まったのであり、またその主人公は他の売人を密告し、彼もまた莫大な釈放金を要求される。

さらにこの釈放金という仕組みも、単純なものではない。腐敗した警察組織が、袖の下として取り立てているだけのものだ。この制度がはびこってしまった背景には、基本賃金だけでは豊かな生活ができないという問題がある。

つまり貧しい者たちが、小さな富を奪い合い、なんとか生き延びようとしている構造が見えるのだ。

ここで私は考えた、「人間が多すぎるのが問題なのではないか」


これまで教育の力を信じて、様々な教育支援事業に取り組んできた。 教育によって各人に力をつければ、貧困から抜け出せ、自力で人生を造っていけると信じていた。

でも仮に、全員が力をつけたとして、その全員が就職できるポストはあるのか。そもそも社会はそれほどの労働力を必要としているのか。 人が生きていくため、食い扶持を稼ぐためだけの仕事だとしたら、それは存在する意味があるのか。

地球には、現在いる人口の全員が安定した生活を送るだけの資産はないだろう。 生まれても、ただ生きるための仕事をし、死んでいくことに、意味はあるのだろうか。

日本では少子化が問題視されているが、少子化単体では問題ではなく、高齢世代が多すぎることが問題なのではないか。 単に出生数が増えることは、豊かさにはつながらないだろう。

また出生数が少ないことを問題としたいなら、「所得もある程度あり、子供に適切な教育を施すことのできるような層で」出生数が少ないことをあげるべきではないか。頭数が増えても、逆に社会の負を増やしてしまうこともあるのだから。

綺麗事を言えば、子供は誰しも宝であり、家族が増えるのはよいことだ。でも、暗い苦しみの中で奪い合い痛めつけ合う世界が待っているのだとしたら、それを味わう人を増やすことは、果てして素敵なことといえるだろうか。

能力のある子が、能力を自覚するために

数年前から参画しているNPOがある。 国際協力系といえばそうで、10年以上にわたって東南アジアのある児童養護施設を支援し続けている団体だ。

経済的支援、精神的支援など様々な角度からサポートを行なっている。 ただ、寄付を募るのは海外の団体の方が得意だったりするので、 我々は子供達の精神的支援や、将来を見越した教育的アプローチにも力を入れている。

私は以前から教育に興味をもっている。 「教育」をもう少し丁寧に言えば 「人が自分の力を発揮したり、そもそも自分の力に気付いたりするための手段」と捉えている。

この分野に興味をもった背景には、自分が田舎の公立学校で育ったことがあると思っている。 そこは、綺麗に言えば「多様性に富む場所」。 気を使わずに言えば、家庭環境も学力も全く異なる人が入り混じり、 地方公務員のステレオタイプな考えがあたかもこの世界の全てであるかのように、 そこにいる人の思想を縛り付けるような場所だった。ステータスとしては多様なのに、多様な考え方は否定されてしまう。

その後、私は大学入学とともに上京し、様々な世界を経験した。 最高学府と言われる大学で、周りには裕福な家庭出身の子がごろごろといた。

そして2つの気づきをもつ。 ・生まれる環境によって人生は大きく変わり、時にはどんなにあがいても超えられない壁があること ・ただし超えられない中でも、新たな可能性に気づき、自分を造っていくことは可能であること

「気づく」というのがポイントである。

周りが知力の高い人ばかりでない環境で育つと、歪んだステレオタイプの思考によって、多様な価値観を持つことが悪とされたり、そもそも広い世界があることすら気づけなかったりする。

生まれつき能力の高い人も、それを認識してもらえる環境があって、自分もそれに気づいていなければ、能力を活かすことができない。

私はこうした、能力はあれどもそれに気づかない環境にいる人と、一緒に可能性を広げる支援をしたい。

その一つの形として、書籍の支援を考えている。

自分の価値観を変えた本や、あたらしい世界を教えてくれた本、子供の頃に読んでおけばと後悔した本を、NPOメンバーから募り、送るのだ。

この企画の実現に向け日々苦闘しているのだが、その中でいくつかの疑念も浮かんでくる。 例えば、この本が良いから!と渡して読んでもらうことは支援する側の傲慢ではないか(度が過ぎれば思想統制と言われても仕方ない)、読書習慣は自分の意思で選ぶ本を読まなくては意味がないのではないか、であれば渡す形式としては図書館のようなものを作るのが良いのか…

直接的に効果を見るのが難しい施策だからこそ、確固たる軸と、ゴールの姿を常に心に留めていたい。 そして子供達の支援を考え行動するという営みの中で、自らの思いを整理し、人生を形作っていきたい。

教育ベンチャーにおける人材の見つけ方と育て方【EdTech記事翻訳】

人を見つけ、育てることの難しさ

ついこの前まで就活メディアに携わり、自分自身も昨年就職活動を行なった上で確信したことがある。人の能力や適性をはかることは非常に難しいということだ。

今更いうまでもないかもしれない。でも、人を見極めることは難しいとわかっていながら、同じ採用や人材育成の方法を続けて、結果として労働者にも企業にも不利益を与えている現状が残るうちは、話題に上げ続ける意味があると思っている。

自分は就職活動をしながら、本質的でない行程に腐心し、自分の時間を削り自分の信念をなきものとしてまで、会社員になる権利を得ようとすることに違和感を感じていた。へそまがり、ただ素直になれないだけ、集団に従った方が後になって得するかもしれない、など色々な考えが頭をよぎりはしたが、結局自分は変わらなかった。社会人となったいまでも、何が一番良い選択肢だったか、という問いに対して答えは出ていない。しかし概ねいまとった選択肢は良いものだったという自負はある。

「良い選択をするのではなく、選んだ道を正解にしていく」 この言葉に、支えられている部分は大きい。今回の記事を読んで、ベンチャーNPOを成長させて行くプロセスにも、人生と通底するものがあると感じた。意図とは違うかもしれない、思わぬ外部環境の変化があるかもしれない、でもその中で選んだ道を正解にしていけばいい。そもそも入り口で見分けるなんて、難しすぎてできないのかもしれない。だとしたら入り口選びで神経をすり減らすより、どう正解にしていくかにエネルギーを使った方がいいのかもしれない。

今回の記事はFinding the Right Talent to Build an Edtech Company That Is Loved and Lastsより

愛され、長く続くEdTech企業にするため、適切な人材の見つけ方

どんな企業もfacebookGoogleのように、無料で食事を提供したり色とりどりのオープンスペースを設けたりすることができるわけではない。しかし、少ない予算でも職場の雰囲気を前向きにし、生産性を上げ、従業員の満足度も上げる方法があるのだ。

特にEdTech業界においてすばらしいオフィスを作ることにどんな意味があるのか、それを知るためEdSurgeはオフィス環境という点で注目されることの多い2社の代表にインタビューを行なった。オンラインで治療や診断を提供するPresenceLearningのCEOであるWhitehead、そしてデンバーポストとワシントンポストに「地域で最も良い職場」として紹介され、オンライン学位授与サービスを提供する2Uの副社長であるAndersonだ。

価値を創出すること

社是がウェブサイトにしか掲載されていないという企業もあるだろう。しかしWhiteheadに言わせれば、大事なのはただ目標や創出価値を定義したり掲げたりすることではない。

Whiteheadは言う。「ここでは誰もが、我々の存在意義をわかっている。我々の創出する価値、我々がなんであるか、戦略、理念を達成するためにとるべき手段についても。」従業員が自らの役割や社の目標を理解していることは非常に重要である。だからこそ彼らは団結できる。

このことを、繰り返し繰り返し伝えることで、従業員のモチベーションを維持し、意欲をかきたてることができるのだとWhiteheadはいう。PresenceLearningでは、定期的にこの話をすることで、仕事の目的を意識することができるようになっている。「子供が教室で手をひらひらさせながら話すようなものかもしれない、でもそれは時に大きな成果を生むのだ」

2UのAndersonもまた、社の目標に対して強い思いをもっている。人事部からマネージャーに対して、No Back Row賞にふさわしい従業員を選出するように課したほどだ。この賞は日頃から社の目標やスローガンを体現しているような従業員に送られるものだ。

「スクリーンに社是を投影して『これを常に心に留めておくように』と伝える企業がよくあるが、その会社では誰も社是について話していないし、日頃からそれが守られていなくても誰も気にしていない」とAdersonはいう。そんな状況を避けるため、彼女の会社において社是は、日頃から仕事に溶け込んだ形でみえるようになっている。四半期ごとの締めでも話を聞くし、直接名前バッジにも書かれている。「定期的なリマインダーね」と彼女はいう。

チームを作り上げること

優秀なチームを作り上げるのは、誰もが同じ興味関心や能力を持っているということではない。2Uではチームを作る際、バックグラウンドや能力、興味のある分野といった点で多様性が生まれるように考える。「バランスの良いチームを作ることが重要だ。新しい創造的な解決策を思いつくわけではないから、みなが課題に対して同じことを思っていなくてもいい。」

強みを重視することで時にマネージャーは、ユニークな資格を持った人を採用しなくてはならなくなる、と彼女は付け加えた。「自分の専門外の分野を極めた人に対して面接を行う際には、少し注意しなくてはならない部分もある。相手のいうことと紹介状を信じるしかないからだ。」

PresenceLearningで新しく従業員を採用する際には「志望者が、問題に対してどのような考え方をする人かを見極めるために、コンピテンシー面接とケース面接を行う。そして事前に一緒に働いてみる。」

Whiteheadはまた、志望者が自由なマネジメント制度のもとでうまく働けるかを調べるようにしている。ミスが少なく、自律的に働ける人を雇うことが大切だ。「管理しすぎるマネージャーは採用しない、熱心に働くプレイヤーを採用する」

組織を回し続けること

壁にあたることは、どんな企業にとっても避けられないものだ。そして苦難の時期に、前向きな雰囲気を維持し続けることは非常に難しい。

人事のマネージャーとして、Andersonは他の人が聞いていないようなことまで含めて、職場の不満を多く聞いてきた。彼女の会社は6年間で従業員が125人から1200人に増えるという劇的な成長をみせた。しかしこの急成長にともなっていくつか問題も生まれてきたのだ。激動の時期においては、彼女のような立場にいる人はとにかく前向きな姿勢を崩さず、従業員のサポートができるようにしていることが大切だという。「最も大切なことは、いつでも外に開いていること。人事部には、他から非難されてきたような側面があるのです。」といつも助けを求めにくく、協力的でもないという、人事に対するステレオタイプな考え方があることを付け加えた。「この偏見を取り下げるためにも行動しなくてはなりません」

従業員に積極的に関わりにいくことが重要だと考えている。期末評価やフィードバックを行なったり、個人面談を行ったりしている。そして従業員からの不満があれば、本人の考えを尊重するようにしている。

「なぜ従業員がそう思うようになったのか、時間をかけて理解しようとするのです。彼らにとっては、自分の意見をきちんと聞いてもらえる場を提供しているのです。」

【EdTech記事翻訳】カーンアカデミーが教師用ツールを開発

結局は学校というプラットフォームに回帰するのか

カーンアカデミー、MoocやCourseraなど学習時の環境の壁を取り払うサービスが多く出ている。はじめてこれらの存在を知った時、これこそ教育格差を埋めることができるシステムだ!と心が震え上がるような感覚があった。

後から、そもそもこういったオンライン学習システムでは「学ぼう」と思っている人はアクセスできるが、そもそも学ぶ必要性を感じていない人にとってはアクセスできないものなのではないかという考えが頭をもたげてきた。苅谷剛彦先生の言葉を借りれば、インセンティブディバイドの問題を克服するどころか、伸張させうるものである。

そこで、今回の学校との提携という制度にはある部分では納得した。どんな子でも一様に通う、公立学校の制度から変えていくことは、教育レベルの底上げという点において(少なくとも義務教育に通うことは保障されている先進国に限っては)有効であろう。私が関わっていたTeach for Allグループに通底する考えだ。

しかし今回の導入には乗り越えなければならない課題も多く存在するであろうと感じる。教師の負担などもそうだが、一番は自治体格差ではないだろうか。費用負担もそうだが、そもそも課題が多すぎて組織が疲弊しているような自治体では今回のような導入に協力的な姿勢を見せられる場合ばかりではないだろう。昨今、アメリカに限ったことではないが、自治体によって居住者の階層が大きく偏っている。高所得者が多く、または重要産業が発達し税収入の多い自治体はより多くの制度を導入でき、そうでない自治体との格差がより開いていく。このような悲観的な見方もできるのではないだろうか。

もちろん、どんな制度の導入であれ課題はつきものであるから、まずは導入ありきで考えることも大事である。日本の3,40年先をいくと言われるアメリカで是非、有効な実践例を残して欲しい。引き続きウォッチしていこうと思う。

以下はKhan Academy’s New ‘Teacher Aid’ Tool Goes for a Test Drive in Southern Californiaより。

カーンアカデミーの新しい「先生お助け」ツールが南カリフォルニアで試験運用を始めた

カーンアカデミーといえばオンライン動画を思い浮かべる人が多いだろう。それら動画の大部分は、創業者でCEOのサルカーンが、いとこの数学の勉強を助けるために、2005年から自宅のクローゼットで撮りためてきたものである。しかし、その構図が少しずつ変わってきている。

マウンテンビューに拠点を持つ非営利団体であるカーンアカデミーは、南カリフォルニアの5つの群教育省と、1学区と提携し、教室における教員の活動を支援するツールの導入を開始することを発表した。

カーンはEdSurgeに対して「本製品は、多くの規範や熟慮されたコンテンツから、最適な内容を提示するように設計されている。教師は新たな視点を獲得できるだろう」と話した。

教師たちはいつでも、カーンアカデミーの無料オンラインチューター教材に接続できるようになっている。補習のため、生徒にカーンアカデミーのサイトを使わせることもできるし、教室にあるコンピューターで生徒たちにオンラインクイズをさせることもできる。

カーンによれば、組織は今、学校のカリキュラムの中で特に大事な部分に対するサービスを作ることに、関心を向けているようだ。彼が「先生お助け」と呼んでいるツールを使うものだ。

この製品によって、どの教科を受け持つ教員でも、オンライン宿題を作ってそれを共有することができるようになる。その宿題は、基本講座や双方向講義を含んで6万以上にものぼる、カーンアカデミーにある動画やその他教材を参考にできる。

他にも、データをまとめてみられるページがあり、そこでは生徒がどれくらいカーンアカデミーの講座を視聴しているか、宿題を終わらせるためにどれくらい時間がかかっているか、どこでつまづいているかを確認することができる。

教師たちはGoogle for educationを使うことで、G Suiteのアカウントとカーンアカデミーのシステムを統合することができるようにもなっている。特に、Gooogle Classroomを使うことでクラス名簿を簡単にカーンアカデミーのシステムに移植できるようになっており、これによってカーンアカデミーの宿題とその取り組み成果のデータをすぐに回収できるのだ。(Googleのサービスを使わずに、カーンアカデミーの支援ツールを使うこともできる)

重要なのは、教師が生徒の学びを個別最適化するのを支援できることだ、とカーンはいう。「教師は問題をみつけて、習熟度の差があるところに印をつけさえすれば、あとはカーンアカデミーを利用するとで、問題が起こっている生徒に対して学習速度を調整することができるのだ。生徒にとっては勉強の幅が広がるし、教員にとっては生徒の理解度を簡単に把握できるので、授業でどこを復習すべきかが明確になるのだ」

一人でカーンアカデミーを利用する人に比べて、教師と一緒に利用する人はサイト滞在時間が3倍以上も長い、という調査結果が、このツール作成を後押しした。

はじめは、ロングビーチ学区、オレンジ郡の教育省、サンバーナーディーノ郡管轄の学校、リバーサイド郡の教育省、インペリアル郡の教育省、ロサンゼルスの教育省とカーンアカデミーが協働してツールを導入することにしている。全体では300万人の生徒に影響することになる。

「言語の違いや学習歴の問題によって、いつも親に宿題を手伝ってもらえない生徒たちにとって大きなチャンスだと思う」とロサンゼルス郡教育省のデブラはいう。「より多くの生徒、特に大学第一世代や貧困層にいる生徒たちが、大学に通えるようにしたい」オレンジ郡教育省のアルが付け加えた。「カーンアカデミーは教育格差を縮めることにおいて、非常に役立つ」

広報によると、カリフォルニアで3番目に大きく、約77000人の生徒が在籍するロングビーチ区では、教科や学年を問わずカーンアカデミーを導入するとのことだ。5郡の教育省は、カーンアカデミーの教室向け新ツールの稟議を進めていくとみられる。

協力関係のもとで、カーンアカデミーは自治体に対し、教員や管理職向けトレーニングを提供する予定だ。今秋にツールが一般公開されることを見越して、逆に自治体からはツールの改善点についてフィードバックを受け取れるようにしている。

しかし、具体的な施策はまだない。協力関係を結ぶことに対して前向きな姿勢を見せたDuardoも、製品がどのように導入されるのか、夏休みの間はどうするのかについて、まだ検討に至ってはいないことを認めた。カーンアカデミーとの協力について最初に手を挙げたMijaresは、タイミングについては懸念を示していない。「いまや教育は日進月歩だ。途中で止めることはないし、夏なんて能力開発が一番盛り上がる時期だ。」

カーンもまた楽観的である。「どう進めていくか、熟慮すればするほどおもしろくなっていくはずだ。テーマも学習方式も多様化させ、軽いクイズや評価方式も増やしていきたい。データをもっと素早く取れるようにもしたい」

カーンアカデミーの守備範囲が変わってきていることについて問われると「こういうサービスがもっと出てくる世の中になればいいなあ」と答えた。

一人が好き、な私が一人で過ごすことに飽きた瞬間

一見遠回りな、近道

人と過ごすということは時に無駄も多いように思える

食事なら「この値段を出すならおいしくて体によいものが食べられたのに」とか 飲み会終わりに「もう話は終わったじゃない、明日も早いのにどうして帰らないのかしら」とか 演劇をみるのに「時間を合わせたり場所を決めたりするためのやりとりに、こんなに時間を割くなんて」とか

おそらく人と過ごすことが好き、またはその世界しか知らないという人にとっては なんてことのない事象なのだと思う

しかし、一人で過ごすことがある程度好きで、効率を求めがちな私にとって これらは時に耐え難く、だからこそできる限り一人でできることは一人ですることにしてしまう

連休の過ごし方などはそれが如実に表れていて

社会人になり、週5日は少なくとも朝から晩まで誰かと顔を合わせていなくてはならなくなった もちろん業務時間だけにはとどまらず、夜の付き合いも、休日ですら遊ぶ機会があり 元来一人の時間を大切にしてきた私にとっては、 自分の中のコミュニケーションエネルギーがすり減っていくのを感じるような日々だった。

そこで待ちに待った連休。できる限り一人の時間を残して、コミュニケーションエネルギーを温存しようと思っていた。

1日目、楽しい。 2日目、楽しい、が。

誰にも干渉されない1日というのは、実に楽しい。気を遣うこともなく、自分がしたいことをしたいタイミングでできる。 何もしないでいるという選択肢もある。

しかしそれは同時に、自分が今日生きている意味をわからなくさせ、要所要所で自らの選択・決定が求められるということでもあるのだ。

この自分で決定するという作業は案外疲れる。今日は会社に行かなければならない、今日は飲み会でここに行かなくてはならない、と決められた方が実際には楽なのだ。

さらに、人のモチベーションとか、新しい発想は、自分と違うものに触れることで生まれるのだということもよくわかった。

一人でいる時間は、自分で意思決定している以上、自分にとって親しみのある、いうならばコンフォートゾーンにしか触れないのだ。

だから、刺激は足りない。

一見不快と思えるようなことに触れてこそ、後から学びを得られたり、客観的に自分を捉えることができたりするのだ。

これからは、「いやだなあ、一人の時間がほしいなあ」と思いながら人と会う予定を作り、いやいや出かけていくようにしようと思う。一人で過ごす時間を楽しめなかった時ほど、自己嫌悪に陥ることはないし。

【EdTech記事翻訳】高等教育の変革を阻む、5つの見えない障壁

テクニカルタームに慣れたい

教育学について、これからも見識を深めていきたい。プログラミングでもなんでもそうだが、文献をあたるうえで、言語の壁というものは大きい。日本語だけに絞っている時点で、触れることのできる情報は制限される。

英語の文献に抵抗なくあたれるような基礎能力くらいは、身につけておきたいと思うのである。そこで、信頼しているEdTechメディアEdSurgeから、気になった記事を引用し、翻訳していこうと思う。

今回は​5 Invisible Barriers Preventing Change in Higher Edから。高等教育こそ、より広いコンテンツに触れる意味でのedTech導入が有効だとは思うのだが、そこに大学という枠が必要なのかは疑問が残るところである。ただしある程度の強制力(キャンパスがあって、カリキュラムがあって、単位をとらなくてはならないといったような)や、同じカリキュラムを学ぶもの同士で育まれる人間関係などのようなものは、確かに人生にとっては必要なのだろうが。

誤訳などがあれば、ぜひご指摘いただきたい。

高等教育の変革を阻む、5つの見えない障壁

こと高等教育の問題となると、誰もが口を挟みたくなるものだ。しかし、はっきりしたことはあまり知らないのではないだろうか。テキストや学費が非常に高い割に、学生の参加率が低いこと、学生は学習の手段を選びたいと思っていること。加えて、まだ指導要領には組み込まれていない新しい能力指標があるということ。

同時に、テクノロジーにはこれら多くの問題を改善する余地があるということもわかっている。しかし、改善に懐疑的な勢力がいることも事実だ。

これらの問題は、組織による見えざる障壁によって引き起こされている。教授が変更を嫌がったり、同僚と効果的なやりとりをするためにキャンパスにいなくてはならないという思い込みがあったりする。テクノロジーによって教授たちの考えや行動や、同僚たちとの関わり方が変わる。テクノロジーによって、教授たちの、–組織の中や、それを内包するより大きなエコシステムの中における–役割がわかりにくくなる。これら見えない障壁は、指針や行動、報告体系、役職、その他職場における様々な要素によって、まとまりさらに強くなる。もっとも大事なことは、これらの障壁によって我々は変革から遠ざかっているということだ。

魚が水の存在を意識しないように、我々は組織による障壁やそれがシステム全体に与える影響に気づいていない。認知することがまず、それを打ち破るための第一歩だろう。

以下に、高等教育における変革を阻んでいる、5つの組織的な障壁を紹介する。

1. 小さくまとまる文化

ヒューストン大学で感情学の研究を行うBene Brownは、イノベーションが起こるためにはどこか不完全な箇所が必要だということを発見した。変化を起こすためには、慣れない場所に踏み入り、積極的に失敗する必要がある。変革は成長の過程であり、成長には失敗がつきものである。しかし高等教育の分野で失敗を起こすと、自分の汚れた下着を他人に見せるような、バツの悪い気分になる。

高等教育機関は一般的に、私が形容するところの「小さくまとまる文化」をもっている。この言葉の意味するところは、リスクをとることを避ける慣習があり、その風潮が日々強化されているような環境であるということだ。一方で「大きく広げる文化」では失敗が許容され、何かに至る過程で挑戦することが賞賛される。たとえその挑戦が失敗だったとしても。

不完全な箇所があるとき、我々は内にこもってしまいがちだ。学習管理システムや学術誌の有料会員限定コンテンツ、独占テキストへの依存などが、その障壁の証拠である。

2. 現場の認識

このデジタル時代において、現場が効率的に教育を行うための支援施策に対して、複雑な事情が絡み合っているだなんて信じられないかもしれない。あなたが現場支援に携わっているのなら、それは組織の変革を牽引する重要な役目を担っているということになる。実際、我々が支援している現場は、技術導入プロセスのうちどの段階にも位置している。すなわち、技術導入に前向きな層から、懐疑的な層まで。悲しいかな、我々は現場においてこの懐疑派の割合を多く見積もってしまいがちなのだ。こんな言葉を聞いたことがあるだろう「現場は変わりたくないだけなんだよ」。このような見方をすることで、盲目的になってしまう。反対派に注意を向けてしまうことで、素晴らしいアイディアや新しい実践例を見逃してしまう。どんな現場にも、ビジョンを持った人やアーリーアダプターがいる。彼らの話、革新的な取り組み、失敗、生徒の声に耳を傾けることで、懐疑派たちの気持ちもポジティブな方向へむかっていく。変わりたくない人にばかり目を向けるのはやめて、イノベーターに注目していこう。

3. ITを積極的に導入する

webは、教育に革命を起こす力を持っている。そしてwebによって社会をどう変えていくかについては、高等教育が寄与すべき部分も多い。ITを導入すれば、その議論に対して貴重な見地を与えることができる。しかし、高等教育においてITを使いこなす力の育成は主流ではない。この現状を変えたいとは思わないか。関係者を招集し、要職に登用した。

ミシガン州立大学の学部長であるChristopher P.Longは、ITを積極的に導入することについて、独自の見方をする。公立大学に勤めている以上、学問上のアイディアをweb上で公開することは、もはや自分の義務だと思っていた。

大学名義のプロジェクトについて彼が書いた長いブログのおかげで、教職員や学生たちは、web上で自分の存在をアピールできることを知った。もっと多くの理事や学部の人間がLongのようなことをしていたら、ITを積極的に導入することに対する認知が変わっていたかもしれない。

4. 機器の導入プロセス

高等教育において最新技術の導入は時間がかかるものだが、すでに主流となった教授ツールがある。学習管理システム(LMS)だ。しかし、LMSは Canvas(グラフィックソフト)やBlackboard(教育支援システム)、Moodele(教育管理ソフト)と同じで、クローゼットのようなものだ。すなわち、内容物を大切にしまっておくという目的において有効なものなのだ。効果的なやりとりを促進したり、確度の高い評価をしたりするのには役立たない。だから多くの現場では、学生のオンライン学習や学部横断型学習を促進するために、民間のツールを使うようになってきている。

この草の根活動の熱が徐々に伝わることで、現場における従来的な上意下達のプロセスに、変革が起ころうとしている。組織全体の判断というのは大学の文化の中心で行われるものだが、パートタイムの教員はその文化に馴染んでいないことがある。いまや多くの授業がパートタイムの教員によって行われているなか、これは問題である。アーリーアダプターたちが築いてきた実践事例は有効利用されていない。テクノロジーを導入し教育学をより良いものにするためにも、我々は先達が残した事例を利用していくべきだ。

教授や学習のためのツールは、草の根レベルから導入されていくべきだ。ここでいう草の根レベルとは、教授が教え、学生が学ぶ場のことである。学生の学びを促進するツールを導入したいのであれば、効果的だった実践例を見つけてきて、それを導入するための水先案内を行い、ツールの導入自体は学生にさせるとよい。

5. 時と場所

モバイル時代である昨今、伝統的な職場風景は変わりつつある。2013年から2014年の間に、アメリカの労働人口は1.9%増加したが、一方で在宅勤務者は5.6%増えた。労働者は移動可能になり、雇用者側は労働者を雇用し続けるために、職場環境について考え直さなければならなくなった。

他方で高等教育においては、職場環境はそれほど大きく変わっていない。確かにオンラインクラスで教える機会は増えたが、会議や職能開発のためにキャンパスにいなければならないという状況はほとんど変わっていない。2014年の調査によれば、調査対象のうち90%の組織で、オンラインクラスを教えるためであってもキャンパスにいることが求められていた。さらに、教授のうちたった5分の1しか、テニュア保持者がいなかった。すなわち多くの教授は複数の職場をかけもちしているのだ。手短に言えば、高等教育に携わる労働者の多様化をはかるうえで、時間と場所の問題が非常に大きな障壁として横たわっている。

教授たちは、学習の質と機会を向上させるために、テクノロジーを導入して、学生と対面する時間をもっている。私の大学にいる教授たちは、これをどんどん推し進めて、キャンパスという職場にこだわらなくてよい風潮を作っていってほしい。それが、時間や場所という制限を取り払い、高等教育に携わる労働者の多様性拡大につながるのだ。

これら5つの障壁についてどう思うだろうか。あなたの職場で思い当たる節はあるだろうか。

「人のためになる」文章とは

東日本大震災の本震発生から1週間のとき、サンドイッチマンがラジオ番組に出演することとなった。

笑わせることが僕らの仕事だからと、ショートコントから番組を始めたという。

コントももちろん素敵だが、個人的にはそのあとに流された音楽も身にしみた。 辛い時に聞く音楽って、本当に大きなパワーを持っていると思う。 聞いて、自然と涙が出て、でもその涙によって心に溜まった辛い気持ち流れて、涙を拭いたら少しだけこころが楽になっていく。

そんな力をもつ音楽を奏でられる人は素晴らしい

自分にはあいにくそんな音楽の才能はなさそうだけれど(楽譜を追うことで必死)文字を綴ることならできる

いや、文字を綴って人の心を動かすことこそ、めちゃくちゃ難しいのだけれど、でも訓練のしようはあるでしょう

冒頭で”おもしろい記事”と書いてしまったけれど、この”おもしろい”は非常に広い意味をもつ

人の心を動かすという意味がまずある。単純に「ふふっ」と笑えるような記事で、それを読んだ人が数分間であっても辛いことを忘れらるという意味もある。

文字をもって、誰かの心にエネルギーを与える。


私の人生の目標に、「人のためになる文章を書ける人になる」というものがある。

これまで「人のためになる」とは主に、知識や方法を伝えるものだと思っていた。

でも、自分が生きていて様々な困難にぶつかる中で、答えのない問題に一人で当たっている時に自分を励ましてくれる文章の大切さに気づいた。

web記事でも書籍でもいいのだけれど、辛くてどうしようもない時すがるように開いたページで、考え方が変わったり心が軽くなったりすることがある。

あとでまた辛い場面が出てきても、その文章を思い出してもう一踏ん張りできることがある。

そんな力になる文章を綴ることも「人のためになる」のではないだろうか。

もちろんこういった文章を綴ることは、簡単にはできない。

日々多くの経験をして、辛いこととそれを乗り越えることも経験して、

自分の中に厚みが出てくると、次第にそれが文章にも現れてくるのだと思う。

これから辛いことや理不尽なことがあっても、その経験こそが自分を一歩夢に近づけているのだと思おう。


以前付き合っていた、作家の彼の言葉を思い出す。

「俺は現実で辛いことがあったら、『よっしゃ、小説のネタが増えたぜ』と思う。

現実でうまく振る舞えないことがあったら、小説内の登場人物を通してそれを実現させる。

だから辛いことやうまくいかないことがあっても、そんなに落ち込まないんだよ。」